2013年7月24日水曜日

欲望のバージニア/LAWLESS

『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』とか『ジャッキー・コーガン』とか、そして本作みたいな映画を僕は映画館(と呼ぶに値するシアター)でもっと観たい。『ジャッキー~』は正直至極退屈ではあったけど。2時間前後、暗闇でシートに身を埋めては固唾を呑んで見つめるスクリーン、それが映画という体験。ならば、鎮まる心が退屈の海にのまれるか、無限のビートを刻み始めるか、それは紙一重。そんなリスキーなギャンブルが映画という体験。だから、退屈を恐れずつくられた映画を、退屈を厭わずに観ていきたい。『ジェシー・ジェームズの暗殺』を、平日昼間ガラガラの、今はなきチネ・グランデ観た記憶。至福の映画体験、その典型。映画も俺も、まどろむ浪漫。暗闇の白日夢。

旧き良きなオーラをまとい、ニューシネマなムードも漂わせ、それらが融け合いいちゃつくような、そんな「ささやかなご都合」が好都合。アートスクール時代からの仲というジョン・ヒルコート(監督)とニック・ケイヴ(音楽、そして脚本!)の知己知己BANG!BANG!上機嫌!そんな現場ゆえ、仕上がりも統率はやや欠けてるが、なんてったってLAWLESSよ。ラストの「最近じゃ世の中も随分と静かになっちまったもんだ・・・」って語りに箔付けるには、終始ざわざわしてなきゃなんねぇわけだ。安心して観てられる登場人物が誰一人いないディスオーダー。なのに、いいや、だからこそ、安心して身をまかせてしまうスペクタクル。まさに、台詞と画がついたニック・ケイヴのミュージック。

禁酒法の時代、それをカリカチュアライズした過去で終わらせない。むしろ、現代と地続きであることを強調する。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを歌うカントリーシンガー。歴史が更新の連続と同じくらい、反復の継起である諸相。様式美の踏襲。クラシックによる更新。今は昔、昔は今。

「恐い物知らず」にとって最も大切なもの、それは恐怖心。無敵じゃないけど、不死身の理由。



私が観たのは郊外のシネコン朝一の回。上映開始間近に入場すると、目の前にシルバーなレディ3人連れがゆったりと場内に入ったところ。手元のチケットに眼を遣りながら、座席を探し始めるが、近くのシルバー男性が「いっぱい空いてるから、どこでも好きなとこに座ればええんじゃ」と声をかけ、「そりゃそうだ」とばかりに「ここ空いとるから、ここにしようかね」と徐に腰を下ろすお三方。なんだか、上映前から早速素敵な和みを頂き、劇場観賞醍醐味享受。

そして、上映終了後のシルバー・レディ・トリオ。「好い映画だったわねぇ~」「好い映画!」「『欲望』って感じだったわよねぇ~」「ヨ・ク・ボ・ウ!」と、それはもう御堪能オーラ全開で嬉しそうに語らいながら、劇場を後にしていった。懸命に脳へと埋め込んだリテラシー・チップを遙かに凌駕する、自然に育まれた見る眼・感じる心・自由な体感。夢や希望や憧れが健在だった頃の現実を生きた世代。発露させるからこそ衝突も後悔も享受もできた、「欲望」の時代。自己完結型欲望は、いつしかひたすら抑望の世代。無法地帯の輝きは、強大な権威や秩序の副産物。秩序なき時代の無法はただの埋没するしかない日常。