2013年7月16日火曜日

フロンロライン・ミッション

※追記:日本版DVDが発売された(8/30)。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013のコンペ作品で最初の観賞となった『フロントライン・ミッションRock Ba-Casba)』(タイトルは、アラブ人とユダヤ人が戯れるミュージックビデオが印象的なThe Clash「Rock the Casbah」に由来)は、イスラエルとフランスの共同制作による作品。監督・脚本のヤリブ・ホロヴィッツ(Yariv Horowitz)は、ミュージックビデオやテレビの演出や、国外でのCM制作、短篇ドキュメンタリーの監督なども務めてきたという。(ここで彼の仕事がいろいろと見られる。)長編監督1作目となる本作は、今年のベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品され、C.I.C.A.E.賞(国際アートシアター連盟賞)を授与された。

舞台は1989年のパレスチナ・ガザ地区。そこに派遣された若きイスラエル兵達の苦悩を通して、衝突や矛盾のかかえる凄惨と陰鬱と不毛と懊悩が浮き彫りにされてゆく。派遣後間もなく、反発する地元の若者が屋上から落とした洗濯機によって一人のイスラエル兵が絶命する。いきなり突きつけられた現実に、虚脱と葛藤の日々が始まる。「支配者」としてのイスラエル兵の横暴、抵抗だけが尊厳の術かのようなガザの民。時に愚かで時に聡明な貌を、どちらの側も錯雑と淡々に繰り返す。

まず何よりも新鮮(?)だったのが、地元民による投石の怖ろしさ。監督によると、「ユダヤ人にただ(無料)で石を投げつけられる」とあって、パレスチナの人々も嬉々としてエキストラに参加したんだとか(笑)・・・なるほど。その迫力は確かに伝わる(※)。驚くことに、銃撃戦の何倍も怖ろしい映像なのだ。それはきっと、銃は撃ったことも撃たれたこともないが、石なら投げたことがあるし、ぶつかったこともあるからだろう。それに、銃弾は(その弾道が)目に見えないし、弾自体の重みは稀薄である(それ故の怖ろしさはありつつも、それゆえにどこか形而上的でもある)故に、質量も「弾道」もはっきり体感できてしまう石の重みは激しさを喚ぶ。

また、地元民はとにかく屋上から物を落として攻撃しようとするのだが、その位置関係がもたらす恐怖も厖大で、これは武器をもたぬ民のせめてもの「凌駕」なのかもしれないが、それを更なる規模と間接(無意識)で大量に投下する残虐こそが、空襲というものなのだ。銃撃が傷みをどこか抽象化してしまったように、空襲もおそらく同様の「効果」を孕んでる。銃撃や空襲のもつ残虐性をより「具体」的に見せられることで、戦闘の文明化が、増殖する犠牲の痛みを隠蔽している事実に気づかされたり。

そうした意味では、敵と味方が空間的に分かたれた通常の戦場とは異なった、敵と味方が隣り合い、時に交流を試みてはその度に避けられぬ衝突とすれ違いに対峙し続ける「戦場」において、戦争の深層を浮上させようとする試みは、ジャンル的な戦争映画とは一線を画しているようにも思える。俯瞰で集団を眺めるより、個人に寄り添い凝視するからこそかもしれない。

しかし、最後の最後ではやはり、個人は負ける。仲間を殺した敵を殺すことは私怨の為せる業のようでいて、殺しを躊躇う個人を容易くつぶす集団性の圧制なのだ。個人では固持できるはずの良心や尊厳も、強大な社会のお墨付きを得てしまった「正当」性には目が眩み、大義に隠蔽されてしまう。戦争の怖ろしさとは暴力それ自体よりも、それを制御する可能性の殲滅にあるのかもしれない。


※監督は、「アラブ人とユダヤ人が破壊という戦争ではなく、映画制作という創造のために共同できたことに可能性を感じた」とも語ってくれた。