2013年7月30日火曜日

パリ猫ディノの夜

どれだけ自分なりにアンテナ張りめぐらしてても、結局そこにはセルフ・フィルタリング(?)みたいなものが働いてしまい、知らず識らずのうちに取捨選択してしまったりしているのだろう。本作も、公開情報すら把握しておらず、更にはレコメンドの声も「私には」届いていなかった。ところが、公開されると次第に不意に見かける好評の声。おまけに、何と本作はフィルム上映だというではないか!これはもう苦手シネコン筆頭の新宿ピカデリーでの上映とはいえ、駆けつけないわけにはいくまい・・・ということで。

一昨年のフランス映画祭で上映された本作(そのときの邦題は「パリ猫の生き方」)は、その存在は知っていたし、アカデミー賞にノミネートされたのも知っていたけれど(だから、そのうちWOWOWあたりで放映するかな、とは思ってた)、まさかこのタイミングで(本国公開は2010年12月)日本で劇場公開されるとは予想だにせず。しかも、これまで大して背中おされるようなレコメンドも(たまたまかもしれないが)耳に入ってこなかったもので、最初は「上映中」の報を耳にしても観賞リストに入る予定はなかったのだが、前述の通りの成り行きで観ることにして・・・本当好かった!自分で観る気にならないタイプであるからこそ得られる感応に至福のとき!アニメ、フィルム、フランス、それらの素敵さが見事につまった逸品に、豊潤づくしの70分!

アニメに関しては詳しくない私だが、最近観た三本(『モンスターズ・ユニバーシティ』『SHORT PEACE』『風立ちぬ』)から「自分がアニメに求めるもの」がより鮮明になった気がしたばかり。実写に勝るとも劣らぬ写実性をもはや手中におさめたアニメーション。しかし、そうした技術の進歩は必ずしも表現力の向上や観る者の幸福感をもたらす一方でもない気がしてしまう昨今。アニメにおける立体感やリアリティの増長はむしろ、アニメのもつイリュージョンの減退につながり、それはすなわちイマジネーションの稀薄にもつながるのではないだろうか。より「平面的」であったり、より「抽象的」であったりする「画」の力を感じるとき、「アニメでなければならない」「アニメだからこそ」な世界に魅了される幸福を想い出させてくれるという事実。

アイロニーやエスプリをプティ効かせつつ、キュビズム的な画は3Dに逆行するようにみせかけて挑発し凌駕しようとし、スクリーンを手前にも奥にもくねらせる。そして、ヨーロッパの蒼い夜空の美しさがアニメでフィルムに焼きつけられている不思議な芸術感。昔ながらの「コマ」を感じさせつつも流麗さも併せもつ、心地好い「ひっかかり」を忘れぬモーションがいちいち愛おしい。そして、ジャジーな雰囲気を演出するナンバーと、独創的な画との共犯に心酔してしまう絶妙なスコアが本作の「映画」感を更に演出してくれる。

猫好きにはたまらない本作らしいが、どの人物にも悲哀と屈折を注入した人物造形にヨーロッパ映画好きはニヤリとするし、とにかく屋根から屋根へ飛んだり跳ねたりするアクションの連続に活劇ファンは堪能必至。フィルムの質感が色彩のまろやかさを、フィルムの音がスコアの包容力を増幅させると同時に、本作のもつ「コマ」感はきっとフィルムで投影されることで完成されるのかも、などとまで思えてしまう。

実に魅力的で、元来それほど好みなタイプに思えない私でも再見したくなっている本作。セザール賞ではアニメ部門でノミネートされながらも受賞を逃していたので、納得いかず(笑)に確認すれば、同年の受賞は『イリュージョニスト』。それは相手が悪かった・・・が、本作も方向性こそ違えど、アニメが放つ魅惑でいえば、勝るとも劣らない。