2013年5月17日金曜日

トム・ティクヴァ 《3》

ウォシャウスキー姉弟と共同監督を務めた『クラウド アトラス』が月に公開されたトム・ティクヴァの2010年作品。ヴェネツィアのコンペにも出品されたが、日本では劇場未公開。コアなファンが多くいるタイプでもなければ、メジャーとは程遠い微妙な「ネーム」のトム・ティクヴァとしては、その「名」頼みでは公開困難だとしても、下世話な興味をひきそうなプロットだし、そのうち日本にも紹介されるかと期待して待ち続けるも、そのような気配は全く立ち籠めず、結局自力でDVD観賞(予告しか特典映像なくて残念)。英語字幕で観たので、台詞の妙とかほとんど味わえきれちゃいないけど、それでも好きを痛感したよ、トム・ティクヴァ。

『パフューム ある人殺しの物語』『ザ・バンク 墜ちた巨像』といった「大きな」作品が続いた後、しかもドイツ(語)で撮る久々の長編とあって、かつての垢抜けすぎないスタイリッシュという映画オタク(映画館で映写や作品選定を担当してた)出自を遺憾なく発揮する、全編ティクヴァ節。『ラン・ローラ・ラン』のような若さの迸りも愉しかったけど、色々経験して落ち着きながらも遊び盛りな悪戯好きティクヴァもなかなか好いね。初期の『マリアの受難』や『ウィンタースリーパー』(『ラン~』のヒットで劇場公開されたんだよね。前者はイメフォ、後者はシネ・アミューズ。ミニシアターが若者で賑わってた時代[遠い目・・・])なんかで感じた洒脱な陰鬱さが心地好い。ペイル・ブルーな雰囲気が全体を蔽いつつ、時折挿入されるアクセント(白バックに黒装束の三人がダンスをしたり、顕微鏡がとらえる卵子の映像や、アニメ風の影絵調な画だったり)が微かな転調を施して、2時間ほどの上映時間も一息で。

キャストでは、アダムを演じたデーフィト・シュトリーゾフ(Devid Striesow)が『ヒトラー~最後の12日間~』や『ヒトラーの贋札』にも出演していたらしく(『東ベルリンから来た女』の監督・主演コンビによる「イェラ」にも)、見覚えある気がしたものの、他のキャストは馴染みがないし、とりたてて華があるタイプもいない。ただ、シモンを演じたセバスティアン・シッパーは『ギガンティック』の監督だったと後で知る。同作は、ティクヴァ作品に出演していたシッパーが、ティクヴァの後ろ盾を得て(彼がプロデューサーを務めてもいる)監督した作品だとか。ちなみに、シッパーはこれまで本の映画を監督。2本目はダニエル・ブリュール主演の「僕の友達」(ドイツ映画祭2007で上映)。
最も「魅惑」であるべきアダムですら、眉目麗しさを敢えて抑えたキャスティングにも思えるが、年齢設定的にも、それが自然なのかもしれない。それは作品世界を外見で構築するよりも、内面(つまり、演技)で醸成させる覚悟にも思えたり。

スタッフは、音楽・撮影・編集・美術などいずれもティクヴァ組の面々。ということは、大作系での経験を活かしつつも、それらでの制約などからの解放感を噛み締めつつの仕事だったのだろうか等と推察。なかでも、ティクヴァ作品の劇伴制作チームの仕事が脂乗り過ぎで胃もたれ気味・・・だけど、その「鳴りすぎ」感がティクヴァ好きにはたまらない(はず)。それを中和するかのように、既成曲の使用が見事なアクセント。

ドビュッシーが完成させた唯一のオペラ『ペレアスとメリザンド』の音楽がたびたび用いられるのだが(コミカルな演出との小粋なケミストリー!)、モーリス・メーテルリンクによるその物語は、王太子ゴローの妻メリザンドとゴローの異父弟ペレアスの禁断の愛を描いたもの。心憎い選曲だ。

そして本作における選曲といえば、デビッド・ボウイの「スペイス・オディティ」。(ベルトルッチの『孤独の天使たち』での大フィーチャーに続いて、本作でも序盤に2回[サビ前で寸止め]流れ、エンドロールではフルで流れる。)この曲で月面着陸をする宇宙飛行士の名はまさに、トム!

キーヴィジュアルから明らかなように、本作は男2・女1の三角関係を描いた恋愛ドラマ・・・だと思って見始めると、斜め45度な心地好い裏切りに酔い始め・・・。まぁ、よーく見てみれば、女性が男性に挟まれているのではなく、その列びや向きから一筋縄でいかぬのは瞭然。

付き合い始めて20年になるハンナとシモン。婚姻もまだなら、子供も本格検討に至らずじまい。そんななか、シモンの母が癌で他界。そして間もなくシモンも患っていた癌のために手術(睾丸を一つ摘出するのだが、その手術シーンがさりげなく「モロ」だったりする・・・)。その間に、職場で知り合ったアダムと一夜の快楽に身を任せてしまったハンナ。一方、シモンは退院後、プールで会ったアダムと「熱い絆」を感じてしまい・・・。ちなみに、そのアダムは付き合っている青年(職場での助手?)がいる一方、バツイチでもあり息子がいる。という無茶苦茶な粗筋ながら、至って静謐さを保ちながら語られてもいる。落ち着いたまま、眼の前で展開される「異様さ」を見守れば、それが至極普遍的にすら思えて来る不思議。丁度折り返しの1時間を過ぎたところで、シモンとアダムの「ときめき」が発生するというペース配分も抜群。そこからのさりげなくも昂揚促進な転調ぶりは堂に入った職人芸。

全体的に淡い蒼に包まれながら、アダムにときめくシモンのハートはイエロー。出会いの場であるプール(川の中にある、実に魅力的な空間)は黄色が印象的な内装で、薬局でふとアダムを思い出して買おうとするキャンディ(?)も黄色だったり。こういうさりげない「差し色」の使用のように、ニヤリなディテイル愛でてるティクヴァ。

また、「3(Drei)」というタイトルだけに、「3」が隈無く散りばめられている。気づいただけでも、つの睾丸(2つ持つ男と1つになった男)や、ケーキカットの掛け声(イチ、ニ、サン!)、ハンナは双子を妊娠してつの命。そもそも、トム・ティクヴァ自身も「3」づいていて(?)、『ラン・ローラ・ラン』は確かローラが回走るんじゃなかったか(違うかも)。最近では、『クラウド アトラス』を人で監督したわけだしね。作中にはもっとたくさんのが溢れていることと思う。とはいえ、偏執一歩手前な手加減はちょうどな塩梅。

娯楽としても抜群な牽引力をキープしながらも、ファム・ファタールとは(性別のみならず)別種のオーラを放つ(ように演出された)男の名が「アダム」であるように、それは男女(男男)の恋愛を超越し始めて、人類愛へのコール&レスポンスに昇華する。そうしたストーリーテリングの匙加減は、トム・ティクヴァ独特のあっさり濃厚な味わいが極上で、次回作が楽しみすぎる。



(余談1)
ハンナとシモンが映画館(名画座)に行く場面。二人がおしゃべりしていると、シネフィル青年が注意する(「爺さん、婆さん」なんて呼びかけてるし)が、他の観客も一人客で、姿勢良く極めて静かに観賞してる。ドイツ映画祭での殊勝な観賞状況を想起してしまったり。(アメリカやフランスなんかの映画で出てくる映画館内の雰囲気とは大違い)

(余談2)
ハンナとアダムは医学博士のようだが、彼らが(おそらく)IPS細胞の話をする場面があり、「Yamanakaを知ってるかい?」のような台詞が不意に出てきてニヤリ。

(余談3)
キャスティング的にも、物語的にも、R指定要素(特に、男性同士のベッドシーンがやや刺戟強めかも)からも、劇場公開が困難そうなのは十分判ったけれど、かといって東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映するには敷居が高そう(とりわけ上映権料なんかが)だし、ドイツ映画祭も事実上休止中だし、東京国際映画祭では(国別・地域別の映画祭がない)国や地域の作品をもっと上映して欲しかったり。EUフィルムdaysも年々・・・だし。シネスコで、画面分割(細分化)が演出の一つとして多用されたりもしているので、大きなスクリーンで観たかった。『パフューム』も『ザ・バンク』も上映一週目に、シネコンのお気に入り大スクリーンでの上映を捜して観に行ったっけ。でも、両方とも数名しか観客いなかった。そう考えるとやっぱり・・・。