2013年5月13日月曜日

イタリア映画祭2013 (6)

傑作『もうひとつの世界』が「Viva! イタリア」なる特集で来月劇場公開されるジュゼッペ・ピッチョーニ監督の最新作『赤鉛筆、青鉛筆』では、マルゲリータ・ブイ(『もうひとつの世界』にも主演)が現実的(だが、そんな自分に懐疑的でもある)校長を、リッカルド・スカマルチョが熱意溢れる臨時教員を、ロベルト・ヘルリツカが情熱も希望も失って久しい美術教師を演じている。一見、意欲も希望も潰えた生徒ばかりが埋めつくしているかのような高校が舞台。

欧米(と一括りにするのは誤りかもしれないが)の教師視点の(というか、教師が主人公の側にある)学園ものを見ていて思うのは、日本(というかアジア?)とは明らかに異なった「職業」なのだとしばしば痛感してしまう。社会的な位置づけや、従事する人間の認識などにも顕著だが、それはおそらく「学校」という場に期待されるもの(あるいは、期待しないもの)が明らかに異なるからだろうと思う。例えば、現在公開中の『ブルーノのしあわせガイド』で描かれていた教育観と本作のそれは通じるところがある。例えば、義務の遂行を怠った者を安易に「慈悲」深く救済しないという主張がある一方で、教養を育む場として学校に期待すべき最上の機能は文化的な薫陶であるという思想である。親子もどき友達もどきな人生相談歓談雑談な戯れ教師が長きに渡ってもてはやされてきた日本の学園ものとは明らかに違う。しかし、最近の日本映画やドラマにおいては、随分と様変わりしてきているという現状もある。とはいえ、ロベルト・ヘルリツカ演じる教師が説く芸術の深奥に魅せられる生徒の好奇心に、最たる可能性を見出そうとする本作の姿勢に比すれば、日本において学校に期待される役割の卑小さを感じずにはいられない。

三人の教師と数名の生徒を軸に語られる各エピソードは、そのひとつひとつは見応えがそれなりにあるものの、それらが縒り合わさって浮かび上がるシナジーは余りに稀薄で、そうした散漫さが現代の高校における空気とでも言わんとしているならば正攻法かもしれないが、作品自体が迫ってくる力を失わせているとも言える。ただ、そうした分解気味な本作において、ラストの「静寂」(管理)と「喧噪」(解放)、そしてそれらが生む機微に想いを馳せる穏やかな幕引きには、ピッチョーニ監督の底力を感じたりもした。

それにしても、ロベルト・ヘルリツカの存在感は格別だ。昨年のイタリア映画祭で上映された『七つの慈しみ』(期待の新鋭双子監督ジャンルカ&マッシミリアーノ・デ・セリオ初の長編劇映画)における破格の魔力に圧倒されたこともあり、その残響を浴びているかのような本作だった。(ベロッキオ『夜よ、こんにちは』で誘拐されるアルド・モロ首相役での名演は言わずもがな。)



最終日、最終回では、マッテオ・ガッローネ監督の『リアリティー』が特別上映された。私は昨年の東京国際映画祭で観て完全に魅了されていたので、今回もとりあえず前売券を購入。しかし、実は、今回再見しようと思ったのには理由があって・・・。それは、イタリア映画祭での上映作品は基本的に「フィルムで上映される」という事実から勝手に「『リアリティー』がフィルムで観られる!」と勘違いしてしまっていたからなのです。本当に単純で短絡的過ぎました。上映が始まり、「デ、デジタルだ・・・」となるまで、フィルムで上映されることを信じて疑わぬ馬鹿でした。考えてみれば、東京国際映画祭で上映したデジタルデータがあるにも関わらず、わざわざフィルムを取り寄せるわけないではないか・・・実に浅はかな淡い期待に胸躍らせてしまったものだ。そんな失意も手伝ってか、有楽町朝日ホールのエコノミークラス以下な身体環境と、遠くて小さいスクリーン、そして(連日堪能させてもらい続けたフィルムの奥行に比べると)没入を拒絶されるかのようなデジタルの画には、どうしても耐えがたい思いが噴出し、序盤で途中退場。東京国際映画祭での鑑賞が自分なりに「見事」だっただけに、わざわざ劣る環境で再見する価値も見出せず、再見の楽しみはひとまずおあずけに。


今年のイタリア映画祭では、上映作品の多くに経済危機の影が見受けられ(内容面で)、「休暇に銀座で観る」といった背景に些かそぐわぬ空気が醸され続けた有楽町朝日ホール。(個人的には陰鬱作品も好きだけど。)そうした傾向も手伝いつつ、ここ数年で慣れてきた(というか、自分なりに攻略の域にすら達した気でいた)有楽町朝日ホールに対し、超絶苦手意識が爆発寸前になりつつある兆し、厭な予感。来月にはフランス映画祭。秋にはフィルメックス。彼処に足を踏み入れがたくなると、貴重な作品との邂逅がかなり阻まれてしまう。(まぁ、フランス映画祭は有料試写会的になりつつあるけれど) (いつも座るところではない)ブロックとか諸々変えてみようかな。そういう問題ではなさそうだけど、気が紛れたりするかもしれないし。