2013年4月12日金曜日

若き警官 Le Petit Lieutenant

アンスティチュ・フランセ東京にて開催中の特集上映「都市の映画、パリの映画史」にて、グザヴィエ・ボーヴォワ監督作「若き警官(Le Petit Lieutenant)」を観た。俳優としても活躍しているグザヴィエは、寡作ながら監督としての評価も高く、カンヌでグランプリ受賞の『神々と男たち』は日本でも劇場公開された。東京国際映画祭(ワールドシネマ部門)で初めてみた同作を、震災直後のシネスイッチ銀座で再見したときの慄然にも似た感応は、今もって私のなかで格別に特別な体験として焼きついている。

日本でなかなか紹介される機会の少ないグザヴィエ・ボーヴォワの監督作が上映されるとあらば、英語字幕だろうが観に行かずにはいられない。本作の前作にあたる『マチューの受難(Selon Matthieu)』も不思議な浸透度で迫ってきた作品だったが、それにも似た、ちょっとだけの独特さが強烈な独特さに積み重なってゆく時間の堆積に魅了が未了な深化を遂げる。

本作でセザール賞を受賞したナタリー・バイの静かなる哀しみに包まれた存在感が抜群なる浸潤。いわゆる「抑えた演技」などとは異質の、既にありったけの哀しみ(という感情)が絞り取られた後の精神世界が濛々と立ち籠めているかの如き佇まい。脇を固める面々もまた同様に機微すらこらえた寡黙な表情で、劇的な展開を際立たせる沈黙を守り続けている。『マチューの受難』にも似た終盤の突如たる疾走が、離陸的カタルシスとしてアンビバレントな昂揚を遂げるラストは、グザヴィエ・ボーヴォワ監督作ならではの確かな刻印に思えてくる。

私が観た彼の3作品はいずれも、言葉に拠らずに身体で語る場面に強く心を揺さぶられた。『マチューの受難』ではラストの暴走と抱擁。『神々と男たち』では「白鳥の湖」が流れる、最後の晩餐。そして、本作ではナタリー・バイが電話で報せを受けて卒倒する瞬間。体内を蠢く感情が身体から滲み出てくるとき、そこには映画的破壊力の最たるものが宿ってる。



撮影は、グザヴィエ・ボーヴォワとは長編第二作目から継続して組んできているカロリーヌ・シャンプティエ。今やフランスを代表する撮影監督の一人となった彼女は、公開中の『ホーリー・モーターズ』でも撮影を担当している。ちなみに、本作にはカロリーヌ自身も出演。ナタリー・バイと「若き警官」が列車で移動する際に、彼が所持する拳銃を見て一瞬驚く女性客の役を演じていたようだ。(ちなみに、セーヌ川から上がった遺体を見に行こうとしている野次馬少年二人は、グザヴィエ・ボーヴォワの息子らしい。)

本作のプロデューサーは、マルティーヌ・カシネッリパスカル・コシュトゥー。そう、ジャック・オディアール作品のプロデューサー・コンビ。偶々、前日に『君と歩く世界』を観たこともあり、奇遇。Why Not Productions作品でおなじみのパスカルは、ボーヴォワやオーディアール以外にも、ケン・ローチ(『エリックを探して』『ルート・アイリッシュ』)やアルノー・デプレシャン(『クリスマス・ストーリー』『Jimmy Picard(今年公開予定の新作)』)等々の作品を手がけている最注目プロデューサーの一人。

「若き警官」を観た今日は、前の回でジャン・ユスターシュの傑作『ママと娼婦』(狂喜乱舞!)が上映され、次の回にジャン・ルノアール『ランジュ氏の犯罪』が上映されるという、とんでもない3本立てに酩酊し通しの一日だった。が、『ママと娼婦』は満席近くなり、『ランジュ氏の犯罪』では立ち見まで出る盛況ぶりながら、「若き警官」の観客は20名程度。シネフィル・トーキョーの或る種の傾向顕著な一日。