2013年4月30日火曜日

めめめのくらげ

村上隆が映画を撮るという話は知っていたし、初披露のニュースなんかも耳に挟みはしていたが、まさかこんなに早く公開されるのだとは識らなんだ。

4月からは仕事のサイクルがガラリと変わり、休日や時間のとれる曜日も変わり、慣れるのに数ヶ月かかるかと思っていたが、有形な(?)忙しさだと自覚的にやりくりできるし、ここ数年の無形な(?)忙しさ(というか、実際は忙しくないのに気忙しさがつきまとうという負荷)による精神的疲弊に比べれば、身体的な疲労などむしろ「充実」という勲章を日々授かっているような気すらする。たとえ僅かばかりとはいえ、納得のいく一日の終わりには、がらんと空いた時間や体力が残されずとも、ほんのちょっとの隙間に濃縮リフレッシュ。というわけで、土曜は出勤なのに金曜が休みという微妙なサイクルも、アグレッシヴに活かそうとする余裕・・・が、今のところはまだあったり、という嬉しい誤算。ただ、いつまで保つかは甚だ不安。

ここ数年の間に、「映画ファン」にとっての金曜日の位置づけは明らかに変わっていたのだな。などと、実際に金曜休みの予定を立て始めてから気づいたという4月。初日かつ平日、という積極性と消極性を同時に満たせる観賞日和、金曜日。初日観賞などなかなか挑めぬ無精な私もしばらくは、初日にふらっと観に行っちゃえる生活とかできるだろうか。

というわけで、大型連休(NHK風)直前の4月26日、金曜日。翌日から朝一回の上映(しかも9時前から上映開始で11時前に終映って、どんだけ捨て枠なんだか)になってしまうベルトルッチの『孤独な天使たち』をチネチッタで観ようと思い立ち、ついでなので川崎で一日ハシゴ(しかも、朝はゆっくり寝て、昼頃から出かけるコースで)を画策してるうち、「折角川崎まで行くんだから」という根拠で選んだ3本は、いずれも「兼ねてからは観るつもりがなかった」ラインナップになってしまった。(ちなみに、他には『カルテット』と『藁の楯』。後者は個人的に相当級な享受で楽しんだ。後日感想書くつもり。)

その1本目が『めめめのくらげ』だったのだ。その日が公開初日だということも実は、前日にTOHOシネマズのサイトを覗いて初めて知ったのだった。村上隆本人および創作物に関しては、個人的興味皆無で、情報的補完義務を些か感じる程度。ただ、そんな彼でも「映画界に進出」となればやはりスルーはし難いもので、物語も私的好物ジュブナイルものっぽくもあり、食指が微動を始めつつ。公式サイトを見ると、「なぜいま映画を撮ろうと思ったんですか?」との問いに対して、「とにかく映画を撮りたい!という。そういう世代なんです」という感服すべき潔き名答!こうなれば、いよいよ村上君と「フレンド」になれるかも!?おまけに、キャストを確認すれば、窪田正孝・染谷将太・斎藤工という日本映画の今を賑わす面々結集。(実際に、その三人はそれほど本筋に絡まないけど) 観てみるか!

結果。目くじらたてる駄作でもないかわりに、目頭がちっとも熱くならない。魂入れ忘れた仏、画竜点睛を欠く。CGはバリバリ本気の、実写の人間二の次状態。物語などどうでも好くって、画が「何となく好い」な出来栄えとして絶妙。時代はいま、「ゆる」強度。だけど、それって映画でやる意味あるの?

正直、芸術家っていうのは皆、「完璧主義」という不治の病に罹っている人間のことを言うのだとばっかり思っていたので、村上隆という人物にそもそも感じていた胡散臭さ(主観全開による印象)の根源を見事に確認できたという意味では、至極すっきりした観後。だけど、いくら畑違いとはいえ、「世界の」らしいアーティストが、このような児戯に己の名を冠して出せるという神経は、感服に値するのかもしれない。勿論、半分は皮肉で書いているけれど、正直残り半分は、そういう臆面不知なマイ・ウェイ・マイ・ライフな行き方こそが、「時代を画する」人間には必要な資質なのかもしれないという学び。

でも、やっぱり。インスタレーションにしては長すぎない?
(おまけに、続編まで制作中[エンドロール後に予告ついてます]だっていうんだからね。相当な享楽玩具を手に入れたんだね、村上隆。)



ちなみに、本作の「対象者」って想定されてたりするのだろうか。初日(平日)昼間の場内は、中高年の一人客3人、大学生風の男1・女1、親子連れ一組。冒頭およびラストのテロップに、常用漢字外そうな漢字にも「ふりがな」はない。メイン劇場が六本木だし、村上隆に関心もつ層からしても、オトナのカルチャー人を取り込む魂胆がありそうながら、中身はまさにコドモ欺し向け。その辺の中途半端というか、そもそも「受け手」の情緒なんて想定しないしない夏って感じが、個人的にはやたらと不誠実に思えてしまったのが現実。