2013年4月19日金曜日

アントン・コービン/伝説のロック・フォトグラファーの光と影

昨年のベルリンで初公開された「Anton Corbijn Inside Out」が、こんなに早く、しかも劇場公開されるとは望外至福。アントン・コービンは、音楽界における写真やビデオでの仕事では名実共に最高峰。しかし、私の魅了に拍車がかかったのは明らかに映画界に進出してからだ。『コントロール』、そして『ラスト・ターゲット』。彼の実績からすれば当然な、洗練されつくした画と音のテクスチャー。しかし、作品が放つ美意識はそうしたヴィジュアルに限られたものではなく寧ろより内省的な息づかいがヒリヒリとジリジリ迫ってくる感傷を伴った静謐な語りに、私の魂は完全に魅入られた。

そんなこともあり、最近ちょっとばかり苦手なシアター・イメージフォーラムながら、足を運ばぬわけにはいかぬ。平日の昼下がり、場内には数名の観客。そんな空気と見事に共鳴するように、孤絶した穏やかな情熱は、オランダの光につつまれながら淡々とした眈々で、被写体に眼を凝らし、自らが被写体となると目を伏せる。

証言者たるミュージシャンの言葉に垣間見られる、アントンの芸術家肌とは異なる性質。「大抵の写真家は自分の世界観にはめようとするんだが、アントンは違う」。しかし一方で、アントン自身は言う。「完璧な写真からは息吹が消える。しかし、私の写真は違う。私の呼吸が入ってしまう。」

タイトルが示唆するように、本作はプライベートの側面から切り込んだり掘り下げたりするバイオグラフィーというよりは、アントン自身の内面に寄り添いながら共に沈潜するような作りになっている。アントンの寡い言葉ひとつひとつは深長に、それを補うように彼の動きを静観し、遠くから身体ごと見届ける。そして、そうした存在を包み込む「風景」までをも彼の世界として収めようとする試み。フィルムで撮影されたかのような(実際はどうなんだろう?)ぬくもりある美しさに溢れた映像。「デジタルは嫌いだ」と断言するアントンが映る画にふさわしい丹精な映像にこだわる丹念。アントンの精神生活を外化(可視化)させようとでもしているかのよう。監督のクラーチェ・クイラインズ(Klaartje Quirijns)は、女性ならではの非分析的眼差しでアントンの素顔をじっと待つ。オランダ人同士であることや、アントンが母語(オランダ語)で語れることは、本作における決定的な「核」を保証する。

父をはじめ親戚に牧師が多かったという家庭。プロテスタントの影響が色濃く出ていると自覚する作風。家族の証言、彼への心配。仕事中毒からの脱却、転機、模索、挑戦。自分から出向く仕事から、自分のところへ来てもらう仕事へ。初めて自分のスタジオを構えようと思うんだ。そう語るところで、ひとまず物語は終わる。いや、「つづく」。

彼の作品に関する分析や批評をたっぷり浴びたい人には物足りないかもしれないが、「ドラマ」として呈示されることの多い芸術家の肖像とは一味違う、芸術を仕事にしている人間が日々を述懐する時間。彼の言葉の個人的浸透度が異様なまでに高かった私には、共感や共鳴よりも後を引く、共振の感覚がいつまでも続いてる。