2013年4月26日金曜日

桜並木の満開の下で

公開前から気になっていたのに、識らぬ間に公開が始まっており、一日複数回の上映があるのは2週間のみで、週末からはレイトショーのみ。同時期に『桜、ふたたびの加奈子』なんていう混同しそうな映画があったりして(「桜」しか同じじゃないんだけどね)、「そっちじゃないな」と思っていたら「こっちは終わってた」的な展開、ギリギリセーフ。

何故気になっていたのかといえば、監督の舩橋淳の処女長編『echoes』を東京国際映画祭で観ていたという事実が引き金かとは思うんだけど(その際には本人も登壇)、その『echoes』劇場公開時のチラシがなかなか好きで、いまだに自室の壁に貼ってあったりすることの影響も大きいかもしれない。

ところが一方で、彼のフィルモにしっかり伴走しているかといえばそうでもなく、『谷中暮色』は見逃したままだし、『フタバから遠く離れて』は観に行こうと思ってるうちにWOWOWで放映してたから録画して・・・そのまま。だから、実は最初の二作しか観ていない。しかも、両方とも大して気に入ってなかったんだという事実を、本作を観ながら想い出すという・・・ほどの模糊たる記憶。

それでも、「4作品連続、ベルリン国際映画祭に招待される快挙!」らしいし(映画祭出品・受賞歴とかに弱い自分ではあるが、こういう半端な実績を前面に出されると興醒めだったりする自己都合)、オフィス北野のバックアップは長きに渡っているようだし、確たる実力の持ち主なのだと思います。が、私の主観にはやっぱり響いて来ずで。

本作のプロデューサーは市山尚三で、製作や配給にはオフィス北野が参加。いわゆるフィルメックス系(?)な作品。フィルメックスのコンペには、そのユニークさが興味深い作品と興醒めの作品が混交状態といった印象なのだけど、本作はまさに後者のタイプ(あくまで私的結論ながら)。ただ、後述するように、異文化というフィルターを通すと見事に除去される野暮やら粗末があって、むしろ滋味やら機微が滲んで来たりもするのかなぁ・・・などと思いながら、それ的狙いを感じる「風景」を重ねては緩慢さに含意余白を期待してる企図が透けて見えるような気がしたり。



物語の舞台は、震災後の茨城県日立市。震災の(というか、原発事故の)影響を受けつつも、何とか立ち直りつつあった町工場で働いてた夫婦(臼田あさ美、高橋洋)。夫の技術は信頼と評価を得つつあり、「そろそろ子供も欲しいね」などと語らっていた矢先、夫は事故で他界。その事故を招いたとされる若き工員は、故人の穴を埋めるべく、夫を亡くした妻と同じ職場で働き始めるが・・・。

設定も展開も「推して知るべし」の域は勿論出ぬが、それはそれで地に足ついてる印象ながら、地に足つけてるからって安心し過ぎ(やや雑)な印象も拭いきれない場面や設定が散見されて、細部に宿った説明放棄が、共感を物語から遠ざける。例えば、工場には「ただのチンピラ」にしか見えない粗暴な連中がいたりするのだが、なかでも社会性皆無な若造は、最初から最後まで一貫して「そういう奴」というキャラ設定だけで書割的配置。「彼が何故この工場にいられるのか」といった説得が多少は試みられてもよさそうなものなのに。もしかして、地方の小さな町工場では「そのくらいの寛容」は常識なのかもしれないが、それがわかる程度には描いて欲しいし、それにしたって乱暴すぎる。暴れるしかない馬鹿と許容するしかない阿呆、のよう。

そうした、のっぺりとしたステレオタイプは全編を埋め尽くしており、取引先(ヒエラルキーでは一つ上)の事務所に行くと、社員は全員マスクをしてる。町工場の人間は誰一人マスクをしてない。雑。なんか失礼。それが現実!? たとえ、だったとしても。

主演の二人(臼田あさ美、三浦貴大)はそれなりに好演してると思うけど、バイト的な端役の面々の棒読み垂れ流しには正直付き合いきれないし、かといって柳憂怜や諏訪太朗の演技にそれらをリカバリーするほどの引き締め成分が配合されているわけでもない。むしろ、棒読みとの対照がオーバーアクト感増長。

本当に些末なことかもしれないけど、直前のカットで埋もれていたコートの袖が、何もせずに急に全部出ていたりするという凡ミスに、いちいち気をとられているようでは、俺の方がインディペンデント映画に向いていないだけなのだろうか。あと、「適正」な上映時間(独断では90分)にまとめられなかった2時間という上映時間は明らかに、インディペンデントの甘えの象徴に思えたり。(『横道世之介』や『舟を編む』の2時間超は逆に、インディペンデントからの贈りものといった趣で、心地好い横断感を味わえたけど。)

シネスコを活かした光景には魅せられたりする瞬間もありはするけれど、それが物語と有機的に活かされているかとなると些か疑問。ただ、エンドロールで映像の仕上げ(?)に携わった人のクレジットがかなりいたように思えたが(韓国のスタッフのよう)、確かに技術的な面での映像の質はなかなか高いように感じたのも事実。

私が観た平日夜の回、テアトル新宿の劇場内に観客は6・7名。大抵、どんな作品でもそこそこ入っているイメージの劇場で、そのような閑散状況に遭遇する新鮮さこそが、本作観賞の一番の醍醐味だったかもしれない。