2013年4月23日火曜日

フレンチ・フィーメイル・ニューウェーブ

現在シアター・イメージフォーラムにて、フレンチ・フィーメイル・ニューウェーブと題して気鋭のフランス女性監督による三作品を上映している。先日『ベルヴィル・トーキョー』を観て、全作の観賞完了。個人的には『グッバイ・ファーストラブ』は文句なしの傑作、『スカイラブ』は愛おしい秀作、『ベルヴィル・トーキョー』は極めて苦手定番な作風、という結果。



『グッバイ・ファーストラブ』は、日仏学院で昨年組まれた「フランス女性監督特集」で上映された際に観た。平日に2回のみの上映だったのだが、初見で全身を射貫かれた私は、気づけば翌日の上映にも足を運んでいたし、海外盤ブルーレイも発売早々に注文してしまったほど。ちなみに、2012年に観た非劇場公開作品のなかではベスト。先日のブログでも触れたけど、同じくステファーヌ・フォンテーヌが撮影を手がけた『君と歩く世界』が同時期に劇場公開されている奇遇、奇跡。ステファーヌ・フォンテーヌの傑出した映像に全身委ね、包まれて。フランス映画の新たな地平を辿る軌跡を体感。




『スカイラブ』も同特集で観た。ウェットにならずもドライじゃない、センチじゃないけどノスタルジック。懐古はしても、回顧で終わらない。過去を背負いながら前方凝視で前のめりにぐんぐん進む『グッバイ・ファーストラブ』とは対照的に、目を細めつつ後ろをゆったり眺めながらもゆったり前進みたいな君のいた夏。瑞々しさの成分を一切蒸発させないで、だけど窮屈じゃなく凝縮。多幸感とかいう言葉じゃ軽すぎて、幸福なんて完了感は物足りない。ジュリー・デルピーの脂の乗り方は今、究極の旨味到達。




『ベルヴィル・トーキョー』も日仏での特集上映(一昨年の「第15回カイエ・デュ・シネマ週間」)に選定されていながらも、見逃していた一作。同特集では、ヴァレリー・ドンゼッリの「宣戦布告」(『わたしたちの宣戦布告』として昨年劇場公開)に余りに感応してしまったが故に、その後に上映が予定されていた『ベルヴィル~』は観るのを止めてしまったのだった。(主演が同じ二人だったということもあり)

そうして満を持しての今回の観賞となった。当時の評判はあまり芳しくなく、今回公開後の反応も概ね微妙(一部熱狂)だったので、「好悪どっちかに転んで終わるんだろうな」的腹づもりで見始めると、見事に離れゆく心。物語内容(特にジェレミー・エルカイム演じるジュリアンに対する苛立ちをよく耳にする)にのれないといった拒絶感想が多いようなのだが、私的には「作風」自体(全体?)が完全に受容不可能な空気で充満してた。

日本のインディペンデント作品(特に映画学校の卒業制作や、映画学校で講師と生徒が作ったようなタイプに多い)が放つ、極めて映画的な世界を極めて安っぽい枠内で構築しようとしたイビツ。おそらく優劣の問題ではなく、向き不向きな問題であると私は認識するのだが(などと言うと必ず、「いや、おまえがわかってないだけだよ」的報復に遭うことしばしばなのが、日本のインディペンデント映画語りサークルの苦手なところ)、こういうのって日本だけじゃないんだねって痛感したり。最近では、初めから「無理」そうなものは観賞予定から外すものの、必見臭を嗅いでしまうと引き下がれないシネフィル憧憬病から抜けきれない自分としては、最近も『あれから』を観て撃沈。夏目漱石の『それから』も、大江千里の『これから』も好きだけど、篠原誠の『あれから』は全然・・・好評価を随所で見かけただけに凹みもしたが。(ちなみに、きわめて静寂に満ちた映画なのだが、私が観賞した際のオーディトリウム渋谷では、ロビーでのスタッフ歓談による笑い声が何度か場内まで聞こえてきて極めて遺憾。美学校が入ってからのキノハウスはちょっと苦手な雰囲気が日に日に増してる気がしてる。)

話を『ベルヴィル・トーキョー』に戻すと、作品内容から少し離れてしまうが、生粋のシネフィルがメガホンをとっただけあって、純度の高い「映画的」を追究しようとする姿勢は其処彼処。ただし、デジタルで撮る映像に、フィルムだからこそ活きてきた「映画的」を求めるのは御門違い。陰影に語らせることなど難題なのに、ベッタリのっぺりな暗く黒い画面が継起する。フィルムで錬磨したベテランが、デジタルで「ならでは」を嬉々として駆使したり享受したりするのとは、実に対照的。ちなみに、同じような傾向は、前述の苦手な日本のインディー作品群にも当てはまる。アコギとエレキじゃ表現できる世界は違う。フィルムとデジタル、然りでしょ。

あと、そういった作風の映画におけるもう一つの苦手ポイントが、画調の安っぽさ(これは見せ方次第では特長にだってなり得ると思う)に演技の精巧さというアンバランス。フィルムの格調に安っぽい演技(かつてしばしば遭遇してた、テレビタレントが映画に出てる時の場違い感)の逆ヴァージョン。

主人公マリーの仕事は、エリーズ・ジラール監督自身の投影なのだろうけど、物語において機能しているようにも思えなければ、必然性よりもファッション性ばかりが鼻につく。固有名詞の出し方にしても、何となく浮いてしまいがち(妙な強調感がある)な気がする。

とはいえ、全く以て主観的な苦手意識に包まれての観賞なので、半ば言いがかりかも。


この企画自体の観客動員はどうなのだろう。『ベルヴィル~』は平日初回で一桁だった。『グッバイ・ファーストラブ』なんて、単品で劇場公開されないこと自体がショックだったりもしたのだが、『あの夏の子供たち』を恵比寿で観たときも場内寂しかったしね。一部で活況を取り戻しているかに見えるミニシアター事情。こちらにも「格差」の波とやらが押し寄せて来てたりするのかな。

『グッバイ・ファーストラブ』の動員が好調だったりしたら、ミア・ハンセン=ラヴの三部作がセットで上映される日が来たりする!?(昨年の日仏では実際にあったものの、「すべてが許される」は日本語字幕付の上映はまだない・・・同作も素晴らしすぎるデビュー作なのに!) それに、ローラ・クレトン主演のオリヴィエ・アサイヤス最新作『5月の後』の劇場公開を早いとこ実現させるためにも、ローラ・クレトン主演の『グッバイ・ファーストラブ』にもっと観客押し寄せろ!

ちなみに、『グッバイ・ファーストラブ』を観賞される際には、必ずJonny Flynn & Laura Marling"The Water"を音楽プレーヤーに入れてゆくのをお忘れなく。(マムフォード・アンド・サンズのマーカスとライブで共演した「The Water」なんてのもあるんだね。)