2013年8月9日金曜日

米田知子「暗なきところで逢えれば」

「日本を代表する写真家の一人である」らしい米田知子の個展。東京都写真美術館で開催中(9月23日迄)。

展覧会のタイトル「暗(やみ)なきところで逢えれば」は、ジョージ・オーウェルの『1984年』の一節(We Shall meet in the place where is no darkness.)から。主人公ウィンストンの夢の中でオブライエンが語った言葉。同作にはちょっとした思い入れもある。大学時代に課題図書だったのだ。しかも、原書で読むことが義務づけられていた・・・はずなのに、大学の生協には大量の訳本が平積みだったけど。今となっては、自分がどの程度原書で読んだかすら忘れてしまっているが(試験前に慌てて読むという不真面目さゆえに)、きちんと原書で読んでおけばよかったという後悔が爾来まとわりついていることだけは確か。そんなやや複雑な想いと共にある作家ジョージ・オーウェル。贖罪(?)からか、彼の著作は古本でかなり買い集めたが、いまや免罪符のための免罪符が欲しいくらいに積読状態。それでもたまに広げる彼の本にはいつも、正しい絶望の在り方がある。

ジョージ・オーウェルの文章はきわめて男性的に思えるが、米田知子の写真はそういうわけでもない。かといって別にフェミニンというわけでもない。込み上げる企図を厳粛に抑圧しながら息をひそめて焼きつける。そんな誠実さがリアルな「客観」をとじこめる。ジャーナリズムがしばしば陥る客観幻想とは別次元の、誰の眼にも与しない私小説のような矛盾の在り方を心得る。

事実(客観的)は記憶に刻まれて、そこから生まれる真実(主観的)が歴史となる。時間をもたぬ写真は現在しか写せぬが、しかし実際のそれは常に過去である。しかし、それを見るものには常に現在が生じ続けるし、人間が持てるものは過去と現在だけである。それさえあれば描ける未来。それからしか描けぬ未来。現在は常に過去へと変換されて、記憶として記録されてゆく。実在の客観性は認知と共に脆くも消滅し、逞しき主観に実存として刻印される。そこに生じる「誤差」を、懐疑するでも制圧するでもなく、「正差」として位置づける。そうした前提がある限り、個人の主観に課せられた責任に言い訳の余地はない。そんな対峙が求められている。私はそう受け取った。

暗なきところで逢えれば。祈りにも近いその願い。永遠に祈り続けるその願い。暗がなければ明もない。闇なきところに光なし。絶望の正しい在り方。オーウェルが語り続けた言葉と共鳴する写真。


◇夜間開館の時間帯、同日に「世界報道写真展」も見たのだが、終了間近のそちらは随分と賑わっており、早々に米田知子の展示へ移動。こちらは展示毎に独りでじっくり見られる余裕の場内。映像作品の上映スペースからもれ聞こえる轟音が、会場全体に不穏の膜を張りめぐらして、日常から遮断する。報道写真展の「センセーショナルなドラマチックを見せつけられては感受を強要されている」場に流れる神妙と義務と慈愛。そこで感じた居心地の悪さが浮力となって、轟音響きわたる過剰な「静寂」に感応できた。ダイジェスト的散漫さと、断続的な断片としての各展示に物足りなさを感じつつ、だからこそ生じる間隙が、能動的な再構築を促しもする。二度目には一度目と別の写真が眼の前にある。現在が過去になった証左。記憶と向き合いながら、眼前を記憶する。円環構造で巡回可能な会場にすべき展示と思うのだけど、そうなっていないのが残念だ。(逆流すれば可能だし、展覧会ではいつもそうする私だが。いや、待てよ。もしかしたらそうした「逆流」こそを求めているのかも。なぜなら、記憶とは常に「遡る」しかできぬのだから。)