2013年8月7日水曜日

リメイク版『めぐり逢ったが運のつき』

原題「Wild Target」、邦題『ターゲット』でDVDが発売されていた仏映画『めぐり逢ったが運のつき』の英国リメイク作。先日、WOWOWで初放映。観た。なかなか好かった。が、やっぱりオリジナルを観たくなった。けど、『めぐり逢ったが運のつき』の方はソフト販売なし。というか、ビデオは発売されていたらしいが、DVD化はされなかったらしい。劇場公開時の配給はアルバトロス。僕が観たのはテレビでだけど。しかも、たしかMXテレビでやってたのを録画して。えらく気に入ってテープのツメ折ったけど、今でもあれ(VHS)観られるのかな。

まずは、オリジナルの方の話。

『めぐり逢ったが運のつき(Cible émouvante)』は、ピエール・サルヴァドーリ(Pierre Salvadori)の長編一作目。プロデューサーを務めたのは、フィリップ・マルタン(Philippe Martin)。この人、この後もサルヴァドーリ作品をプロデュースしていく一方、ラリユー兄弟(「運命のつくりかた」等)やセルジュ・ボゾン(「フランス」等)、そしてミア・ハンセン=ラブといった僕が極めて好き好きな気鋭監督たちと継続的に仕事をして来ている御方。そんな事実を改めて確認すると、『めぐり~』が尋常じゃなく好みだったことに今更至極納得したり。そういえば、セルジュ・ボゾンの「フランス」について描いた自分の記事で、本作について触れてたりした。

オリジナルのメインキャストは、ジャン・ロシュフォール、マリー・トランティニャン、ギョーム・ドパルドュー。ジャンの「これぞフレンチ・コメディー!」な洒脱な滑稽さに優雅な笑い心地好く、ギョームの瑞々しさがボケボケキャラと抜群融和。エスプリよりもファニーを優先、オシャレしたってスマートじゃない。今ふと思い出したけど、『シューティング・フィッシュ』(自分のなかで「同枠」の映画)とか本当好きだったな。熱狂でも絶賛でも心酔でもないけど、いっつもどこか心の片隅で疼いてくれるお気に入りってポジションが最近空席気味な気がするな。それはきっと、映画とか音楽とかとの付き合い方に堅さというか肩肘張りな傾向が出てきたからかもね。もうちょっと自由さ、柔軟さ、風通しよくしてかなきゃ。

さてさて、リメイク版の話。



そんな秘かに大好き作品のリメイク版だから、正直あまり期待してなかったのに、これがなかなかどうして、オリジナルをちゃんと尊重したリメイクで、「フランス人って素敵だね。でも、ぼくはフランス人になれないし・・・でも、ならないのも素敵だよ!」みたいな(どんなだよ)爽快な加工貿易していたよ。オリジナルに敬意を表しつつ、自分たちにできることも模索する、リメイクの良計成果を発揮していて痛快。フレンチ・フレーバーを漂わせつつ、英国真摯も忘れない。ジャン・ロシュフォールのおとぼけと通ずるようで異なる魅力をばっちり忍ばせたビル・ナイの適度なメソッド。エイミー・ブラントがキュートすぎないところがキュートという意外。最も懐疑の眼でみはじめたルパート・グリントがこれまた思いの外、好い。「ハリー・ポッター」シリーズは序盤で観賞離脱してしまった自分にとって、こんなに味のある俳優になっているとは思いもしなかった。改めてフィルモ眺めてみれば、日本での公開作はほとんどないものの、ハリポタと並行してなかなか好い仕事(修行)を重ねてきたみたい。今年のベルリンでコンペに出品された「The Necessary Death of Charlie Countryman」(キャスト、豪華・・・)にも出演してる。脇役も、日本で馴染みの深いキャストが多く、ルパート・エヴェレット(昨秋『アナザー・カントリー』がリバイバル上映されてたな)やマーティン・フリーマン(英国ドラマ『SHERLOCK』のワトソン君)がとぼけた敵役を伸び伸びと演じているし、個人的にはグレゴール・フィッシャーがひたすら愉快。

オリジナルを丁寧になぞりながらも、英国流にしっかり仕上げた脚本を手がけたルシンダ・コクスン(Lucinda Coxon)は、ギレルモ・デル・トロの次回(?)作「Crimson Peak」に参加するみたい。ジェシカ・チャステイン、ミア・ワシコウスカ、ベネディクト・カンバーバッチという映画界屈指の絶好調最高潮キャスティング。ギレルモ組のチャーリー・ハナムも入ってる。

監督のジョナサン・リンはテレビ畑の人みたいだけど、イギリスのテレビドラマ・ディレクターって本当堅実人材の宝庫だね。昨年の秘かなお気に入り枠の一本『マリリン 7日間の恋』も確かテレビ畑の監督(サイモン・カーティス)だったよな。あのケン・ローチだってテレビの仕事から始めたし、そこでの経験が随分と糧になったようなことをしばしば語ってるし、BBCの豊かな歴史を感じます。

音楽もゴキゲンで、フレンチ・テイストも盛り込んだスコアの盛りつけ方も適量なら、要所要所でかかる既成曲も適材。アップルのCMでおなじみのヤエル・ナイムの「ニュー・ソウル」なんかも見事にしあわせな関係。他にも、レジーナ・スペクターやイメルダ・メイなどのフィメール・ヴォーカルで色とりどり。

ところで、本作はドリパス一夜限りの劇場上映が実現するのだとか。シネマート新宿の大きい方なら、なかなか好環境だと思うけど、上映素材がBlu-rayという不安。ブルーレイ上映も努力次第ではそこそこの質が求められるようだけど、今年あそこで観た『マーサ、あるいはマーシー・メイ』はちょっと残念だったからな・・・作品自体はかなり好かったんだけど。

それにしても、始まった当初はすぐに消えると思っていたドリパスが、今やなかなか定着しそこそこ進化している様相で些か驚き。ヤフーが買収したらしいけど、うまいこと行ってるのかな。今回の『ターゲット』上映の観賞料金は2,000円均一(でも、実際はドリパスのシステム使用料で210円徴収されるから、実質2,210円均一)。確かに貴重な劇場上映になるとはいえ、一昨年DVD発売され、WOWOWでも今月複数回放映され、しかもブルーレイでの上映。なかなかいい商売してますね。これで上下黒帯での上映だったら泣けるよな・・・。ま、観に行くつもりのない俺があーだこーだ言うのも筋違い。ドリパスに限らず、最近またこの手のビジネスモデル(ソフト販売の前後に劇場で限定上映)って堅調だよね。CDの売上落ちてもライブ動員堅調っていう音楽業界と一見似てるようだけど、僕としては懸念が上回る。最初は速効性のあるニッチ産業的旨味はあるとは思うけど、映画(特に外国映画)マーケットのマニア化を促進してしまいそうだから。というか、マニアのなかでも分断されていく気もするし。現に、その手のビジネスにノレる人と(僕のように)ノレない人がいるわけで、前者だけを見込んだビジネスに浮かれてる姿は、後者の人間にしてみたら寂しさを覚えるもので・・・ま、狭量で偏屈な人間の僻み的ボヤキかもしれないけどね。

あ、でも、一夜限りの『めぐり逢ったが運のつき』劇場上映とかあったら、たとえ素材がDVDレベルであったとしても駆けつけちゃうかも!(そう、人間は矛盾な生きものなのです。) ってか、アルバトロスはやっぱりフィルム棄てちゃったかな・・・