2013年6月10日月曜日

パリ、テキサス/トラヴィス、トーキョー

TRAVISのライブを初めてみた。昨日のHostess Club Weekender2日目で。

バンド名が『パリ、テキサス』の主人公の名「トラヴィス」に由来しているのは有名な話だろうが、ぼくがその名を知ったのは、バンド名の方が先。映画を観るようになったのは学生時代も後半にさしかかろうとしてた頃。だから、『パリ、テキサス』で耳にした「トラヴィス」という名に「おぉ!TRAVISと同じだ!」などと思ってしまった無垢(無知)っぷり。

とはいえ実は、ヴェンダースもTRAVISも格別な愛着を抱く存在ではなかったので、いわゆる「普通に」観たり聴いたりの対象だった。とはいえ、ヴェンダースが或る世代にとって「アイドル」的作家であるように、TRAVISもぼくらの世代にとって「アイドル」的な存在たり得るバンドのひとつ。

たまたま目にしたイベントの告知。同日には、ブリティッシュ・シー・パワーやエディターズといった、1st・2ndあたりまでは熱っぽく傾聴していたバンドが出演。勢いでチケットを買っといた。

直前一週間は爆音映画祭が開催されて、今年もそれなりに通っていたが、後半は仕事で行けなかったり、仕事の疲れで行かなかったり。ライブ前日も怒濤の一日で、当日も朝から身体はベッドに拘束。チケットはもったいないけれど、これは安息日にすべきかな・・・そう思いつつ、昼過ぎまでぐったりしてた。

とはいえ、やっぱりエディターズは観たいし、トラヴィスだって(ミーハー的に)観ておきたい。
汗ばむことない夕方の入口に、恵比寿へ足を向けてみた。

エディターズはもうすぐ新譜が出るらしく、ニュー・アルバムからの曲も演りつつ懐かし(定番)の曲もバランス好く配置。とにかく疾駆な前のめり。サウンド的にはガーデンホールには合わない気もしたが、「Papillon」では「体育館がディスコになる一夜限りのプロムな雰囲気」的デジャ・ヴなノスタルジー。彼らが「お目当て」なオーディエンスは少なめ(推定)ながら、結構ちゃんと聞き入りながら愉しむ穏やかさがなかなか好い空気。

真打ちの登場を観客は想い想いに待ち構え、日曜夕方の恵比寿に溢れる「のどか」の心地好さ。

トラヴィスを学生時代に聴いてた世代はきっと、仄かな不安(而立)と覚悟の前兆(不惑)を旅する最中。そんな半端な煩悶と、下火の情熱が、今このひとときだけは休戦宣言してみたり。

開演直前にホールへ入ると、さすがに人が溢れてはいる。でも、客層のせいか、ギスギスした空気は皆無。ぼくが立った場所がちょうど好かったのかもしれないが、自分のなかの楽しみが誰かの楽しみには決してぶつからない空間。かつての熱狂が解凍されるのとはまた違う、かつての温もりを確かめるかのように聴き入ったり揺れたり手をたたいたり。「合唱」にも部分的にしか参加できないぼくにとってはまさしく適度な一帯だった。

手狭なホールは、集まった人々の「想い」を凝縮させて、合唱は心地好く響き、包み込まれるよな反響。近くにいる人々はシャイな人が多かったからか、唱ってはいても個人の声が際立たず。だから、余計に、合唱に抱擁される感覚に安らぎ沁みてはノスタルジック・ドリーミー。

受難や逡巡や迷走を経たバンドが放つ諦観にも似た泰然。それでいて自ら愉しむことを忘れぬ初々しさは清々しくて、安定した演奏力は旧曲に新たな息吹を、等身大の確認は新曲に穏やかな自信を。

ちょっと気が進まなかった旧友との再会。でも、このまえより格段に話しやすくなっていて、実は昔もっと語り合ってれば親密になれてたのかも。あのときは、上っ面にとらわれ過ぎてたもんな。そんな感覚での「はじめての再会」は、このうえなく日曜の夜に似合いの時間。

ライブ終了後の帰り道。聞こえてくる「10年以上前に戻ったわぁ」という会話。
きっと、みんな、時間旅行。
陽だまりの時間に束の間、帰還。
エビス、天使の詩。


 
※出だしをしくじって演り直そうとした際に、「メン・イン・ブラックみたいに皆の記憶を消去だぁ~」なんて言っちゃうフラン。やっぱり映画好きなんだね。