2013年6月21日金曜日

EUフィルムデーズ2013 《呼吸》

イタリア文化会館で開催中のEUフィルムデーズ2013。毎年、観たい作品はいろいろあれど、なかなかタイミング的に(時期としても、タイムテーブルも)厳しくて、結局ほんの数本を観て終わってしまう切ない企画。そんな映画ファンの気持ちなど梅雨知らず、六月の憂鬱。

フィルムセンターでの開催が定着しつつあった昨今、今年は会場を新たに、デジタル化の波にも当然呑まれ、「フィルム」という看板が切なく響く。イタリア文化会館のホールは、セルバンテス文化センター(天井が低くて息苦しい)やドイツ文化センター(長時間座ってるには厳しい座席)に比べれば、映画を観るには好い気もするが、とにかく寒いぞ(上着必携!)。というより、哀しきデジタル上映の定番パターンに劇場観賞の終末観。シネスコサイズのスクリーンにビスタで投影し、ビスタサイズの上下に黒帯付きでシネスコサイズの映画が上映されるという・・・アレ。画面が小さくなるとかいう「物理的」な問題よりも、左右の投影されぬ白と、投影されてるのに黒い上下の帯が視界に入り続けるという無残。自宅で観た方がマシな「視界」ってどういうこと・・・。シネスコならではの画を堪能するには厳しい状況での観賞環境になってしまい、悲願の劇場観賞は完遂できずじまいな気分。

実は今回のラインナップには、輸入ブルーレイで観賞済ながら、大いに魅了された作品故に劇場観賞できることを嬉しく思い、かなり楽しみにしていた一本があったのだ。それが、オーストリア代表『呼吸』。同作は、なら国際映画祭2012(河瀬直美が理事長を務めてる)の新人コンペティション部門に出品され、観客賞を獲得したらしいのだが、何より日本国内で35mmで上映されていたという事実を知って、臍かみまくり。なら国際映画祭は隔年開催のようで、今年の開催はないようだが、来年は奈良に行ってみるべきか。

その『呼吸(Atmen/英題:Breathing)』は、カール・マルコヴィックスの初監督作(脚本も)ではあるが、マルコヴィクスは『ヒトラーの贋札』に主演していたり、リーアム・ニーソンの『アンノウン』にも出てきたりで、おそらく見覚えのある映画ファンは少なくないはず。そんな彼が、こんなにも繊細で端正な作品を丹精につくりあげたことに意外性。俳優監督という先入観が、演出主導のドラマ性を予想させるも、実際は作家性とドキュメンタリー性が静かに同居し、厳かな緊張感に時折優しさが挿し込む愛おしき小品ならではの「短篇」的語りが見事に結実してる。数々の映画祭で上映されたり受賞したりしているのも納得。

撮影を担当しているのは、『ルナ・パパ』や『ルルドの泉で』(ジェシカ・ハウスナーとは長編全作で組んでいる)のマルティン・ゲシュラハト(Martin Gschlacht)。ブルーレイに収録されている監督インタビューでも、撮影に関しては綿密な話し合いを経て、どの場面にも精緻さを求めて撮り進めていったと語っていた。シンメトリーにこだわった画面や、背景の存在感が異様な構図など、「映っているものすべてに敏感」な劇場で観る者の意識を意識したとのこと。

マルティン・ゲシュラハトが撮影を担当した作品では、「Revanche」を輸入ブルーレイ(クライテリオン盤が出ている/ベルリンでいくつか受賞したり、アカデミー外国語映画賞ノミネートされたりしていたので)で観たのだが、ジェシカ・ハウスナーやマルクス・シュラインツアー(『ミヒャエル』)、ウムト・ダー(『二番目の妻』)といった気鋭のオーストリア勢に共通する作風で、『呼吸』にも通ずる因縁と寛容が緊迫と緩慢を往来しながら語られていく静謐さには毎度ながら惹かれるものがあった。(ただ、それらの作品群にはあまりにも類似した空気やパターンがこびりつき始めているという危惧もあるけれど。)「Revanche」の監督・脚本を務めているGötz Spielmannは、前作の『3つの不倫』(日本語表記はゴッツ・スピルマン?)がDVD発売されているらしいが、未見。

話を『呼吸』に戻すと、主人公のローマン・コグラーを演じる俳優(といっても、本作がデビューのようだ)が、ケン・ローチ作品やダルデンヌ兄弟作品における「主人公」的な表情や佇まいを併せ持った絶妙キャスティング。冴え冴えとした茫漠たる悲しみを見事に体現した貌を見せ続ける彼と街の表情はじっくりと観る者の心に浸透してゆくだろう。

タイトルの「呼吸」は、オープニングのシーンから何度か登場するプールのシーン、そしてラストで語られる真相などにすべて関わり合っており、見終わってはじめて納得の深呼吸を叶えてくれる。多少、逆算気味な布石の配し方に思えなくもないが、僅少な台詞による豊かな行間がそれをうまく中和してくれてもいる気がする。