2014年1月4日土曜日

アントニオ・サウラ 《大群衆》

 国立西洋美術館(上野)で明日まで開催されている「ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外―スペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」展。出品数14点という小規模さのみならず、テーマや作家の「位置」的にも随分と似合ってしまう皮肉な処遇が展開されていた。私が足を運んだのは年末(後から知ったが、年内開館最終日だったよう)、平日の昼下がりながら美術館前のチケット売り場にはちょっとした行列ができている。が、それは「みんな大好き」モネ展に参詣する人々であり、常設展の一画(とはいえ、「入り口」として置かれ、フィーチャー感はそれなりに十分)でひっそりと佇む本展にまで足を向ける人は半数もいないのでは。(終始閑散として、快適だったのも事実。)
 私は端から本展目当てで赴き直行したのだが、たった14点とはいえ、西洋美術館のゆったりとしたスペースでじっくり落ち着いて鑑賞できる環境もあってか、合計小一時間近く留まってしまっていたかもしれない。何しろ、アントニオ・サウラの《大群衆》を目の前にして30分近くさ迷っていた気がするし。
 
 本展は、スペイン出身の四人の作家による作品で構成されている。いずれも、アンフォルメル(不定形)な芸術を志向した作家でありながら、フランコ体制下にあったスペインからアメリカへ亡命したホセ・ゲレーロとエステバン・ビセンテ、スペインに留まったアントニオ・サウラとアントニ・タピエスという、スペインの闇を「内と外」から描いた芸術家たちを対比させつつ(「内」と「外」は必ずしも一定ではないような示唆がある)対話させようという企画。それゆえに、2対2で浮かび上がってくる対照性もあれば、そうしてグループ化してみるからこそ浮かび上がる差異、分けてみたからこそ結びつく共通点等々、作品が具象的抽象表現であるが故に放つ原初の「叫び」が喚起する感動は破壊的に再生を反復して止まない。
 ソフィア王妃芸術センター館長のマヌエル・ボルハ=ビリェルも図録に寄せた文章において、次のように語っている。「彼らの絵画については、国内亡命地〔スペイン〕/国外亡命地〔アメリカ合衆国〕の分離を前提に両者の共通項をやたらに求めるのでなく、各作品の表現に国内亡命地/国外亡命地の対話として読み直すべきであろう。というのも、双方(スペイン国内の美術家とアメリカ合衆国で活躍したスペイン美術家)の美術動向は絶えず交流し、未来への展望を共有していたのみならず、それぞれに活路を必死に模索し、地方性を真剣に探求していたからである。」「画家の名前のない本展のタイトルは問題の提起として解読可能になる。誰が内に、誰が外にいたのか?20世紀美術についても尚、地理的な帰属や環境は支配的な要素と考えられるのか?あるいは四人の作品は、美術のみに実現可能な、目に見えない、国境を越えた共同体の所産として捉えられるのであろうか?」

  《大群衆》

 とにかく魅せられて止まなかったアントニオ・サウラの《大群衆》は、彼が繰り返し挑んだ「群衆」のモチーフ(全部で11作品あるらしい)のなかでも最大スケールの一作(3枚のカンヴァスをつなぎ合わせた、横幅515cmという巨大な作品)。向き合う時間、向き合う角度、向き合う位置により、浮かび上がる貌はめくるめく。ジャクソン・ポロックが余白による「奥」の宇宙であるとするならば、アントニオ・サウラは埋め尽くされた蠢く「迫」。しかし、どちらにも共通する刹那に宿った永遠性。
 
 引用されているアントニオ・サウラの言葉には、次のようなものがあった。
「絵画とは、まず何よりも白い表面であり、そこを何かによって埋めなければならないものである。カンヴァスは果てしなき戦場である。画家はそれを前にして、悲劇的であり、官能的なものを格闘しながら作り出し、命泣く横たわる素材を身振りによって激烈なる竜巻に変え、宇宙の果てまで常に光り輝くエネルギーを付与するのである。
 色彩、構図、素材は質感、意味、美や醜、バランスが取れているか取れていないか、そうした問題を私は気にしない。必要に応じて、何色であれ要求が生じた時に身近にある色で自分を満足させるのである。素材は使うためならどんな素材であれ―今現在は他の問題を避けるために光と影であるところの白と黒を使うが―用いるだろう。それでもし描くことができないのであれば私自身を表現するためにはどんな手段でも用いる。たとえそれが壁に穴をあけることであれ、単に叫ぶことであれ、チューイングガムをかむことであれ。
 具象か抽象か、また純粋主義か狂信主義か、美的か理論的か、そうした芸術に関するあらゆる不毛な議論を超越したところに、叫び、表面を埋め尽くし、足跡を残さんとする押さえがたい必要性がある。それは、精気に満ちた存在の可能性を目覚めさせる表現の必要性であり、それが女性の身体の愛に満ちた、または破壊的なイメージを通じてであれ、無またはすべて、絶望または強烈な空腹、拡張する全体または収斂する力学を通じてであれ、同じである。」

 ちなみに、映画監督として現在も活躍するカルロス・サウラは、アントニオ・サウラの弟。図録には、サウラ兄弟とルイス・ブニュエルが一緒に映っている写真も掲載されている。カルロス・サウラの映画は主要なものを全然観られていないのだが、『タンゴ』と『フラメンコ・フラメンコ』では、舞踏のもつ華麗さが精神性から醸造されることを知らしめられて打ちのめされた記憶が未だに鮮明。特に前者は、ル・シネマでの公開中に全く食指が動かぬ青二才であった私の背中を蹴り飛ばしてくれた先輩(バイト先の映画館で一緒だった)のおかげで、何とか劇場で観ることができた思い出深い作品。(ちなみに、私が観たのはル・シネマではなく、開館当初のワーナーマイカル・シネマズみなとみない[当時]。大手配給会社からの制裁によって、封切作品を回してもらえないなどという「大人の事情」があったシネコン黎明期、苦肉の策でかけていたミニシアター作品群の一作。『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』とか『遠い空の向こうに』とか観に行った。どの作品も観客が数名だった。)

 アントニオ・サウラの《大群衆》は1963年の作品なのだが、彼は1965年と67年に、クエンカのアトリエで各100点にも及ぶ作品を焼却していたらしい。そしてその後は1969年から1978年にかけて油彩の制作をやめ、紙作品の制作と執筆に専念したという。そうした事実からも、《大群衆》および当時の「群衆」シリーズが放つ魂の叫びが或る意味で「絶頂」にあったことがわかる。今回の展示では、油彩制作中断後の油彩作品(《磔刑》1979年)も展示されており、メタフォリカルな表現がより進化していて興味深い。しかし、私は《大群衆》の剥き出しの絶唱に全身が縛られた。

 アントニオ・サウラには《映画 1番》というドローイングにコラージュを組み合わせた作品もあるらしく、画一的に埋め尽くされた映画館の観客席の群衆と、奥のスクリーンにコラージュで貼り付けられた女性の写真が対比的に表されているものなんだとか(図録ではモノクロで参照画像が小さく掲載されている)。最近では「映画」そのものよりも、「映画をみる」という行為(とりわけ「劇場でみる」という行為)について論考したがりな自分にとって、豊かな考察の礎を与えてくれそうなシリーズ(?)ではないか!図録に寄稿された松田健児氏の文章(細やかな調査が親切に整理されていて興味津々しがいがある)によると、日本で個展も開かれ著作の邦訳も出版されたアントニ・タピエスに比べると、アントニオ・サウラ作品の日本への紹介は随分と「まだまだ」なようである。日本の美術館でアントニオ・サウラの作品を所蔵しているのは、長崎県美術館と国立国際美術館のみだとか。(だから、本展は長崎県美術館へ巡回[1月17日~3月9日]するんだね。)本展(は、「日本スペイン交流400周年」事業の一環でもあるらしいし)を足がかりにし、アントニオ・サウラ作品の本格的な日本への紹介が実現してくることを大切望。松田氏の文章でも十全に証明されていたスペイン・アンフォルメルと日本の伝統および前衛芸術の親和性からしても、必然かつ必要な回顧かと。

 さて、無知蒙昧にも関わらず「アート語り」から始めてしまうという無謀に出た新年。映画を語ることに自信をなくし、すべてが騙りにしか思えなくなってしまった昨年。まずはリセット、いつでもリセット。そんな気軽さを深遠さとはき違え、今年は行きます、往ってみます。最後に、図録に引用されていたホセ・ゲレーロの言葉を引用。

「思い出せる記憶の初めには、黒がそこにあった。人生の一部として。群衆の、風景の、そして孤独の中に。それは絶え間なく動いている何かであり、死ではなく生を表す叫びのようであった。時には、通り過ぎては消えてゆく黒い衣服の人物であり、またある時は、空の青と灰色を、大地の赤と黄土色を覆う雲の黒さであった。時には黒の不在が、それがそこに在ったことを私たちに思い出させるのだった。」

 この「黒」って、映画における闇、映画館における暗闇にも思えてしまう。